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東京地方裁判所 平成4年(ワ)4549号 判決

主文

一  被告は原告に対し、一六〇二万円及びこれに対する平成四年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

理由

一  請求

主文同旨

二  紛争の概要

1  事案の概要(訴訟物)

本件は、原告が被告に対し、原告が被告の従業員との間で被告名義で行つたという別表記載の鰻蒲焼及び中国大正有頭海老(以下「本件蒲焼」、「本件大正海老」あるいは合わせて「本件各商品」という)の売渡しにつき、民法七一五条又は売買契約に基づき売買代金相当額の損害賠償金又は売買代金の支払(付帯請求はいずれも民法所定年五分の割合で本訴状送達の日の翌日である平成四年四月一〇日を起算日とする)を求める事案であり、基本的な事実関係の概要は2に認定するとおりである。

2  事実関係の概要

(一)  原告は農水産物及び畜産物の仕入販売等を目的とし、被告は三菱商事株式会社の一〇〇パーセント出資の子会社で農水畜産物の売買及び加工等を目的とする会社である(争いがない)。

(二)  本件の関与者及びその相互の関係は次のとおりである。

(1) 松崎征治(以下「松崎」という)

松崎は昭和五七年当時被告の従業員であつたが、同年懲戒解雇された後昭和五九年ころ復職し、平成三年三月二五日までは水産物食材等の取引を担当する権限を有する被告の営業第四チームリーダーの地位にあつて売買等の取引業務に従事していたが、同日付けで配置換えとなり、同年四月一日から役員付けとされ、同年七月三一日懲戒解雇された。

(2) 小山朝太郎(以下「小山」という)

小山は昭和五七年まで被告の従業員であつたが、存在しない商品の空荷取引等の不正取引を行つたことから同年懲戒解雇された(松崎は右不正取引に加担したことにより前記懲戒に付された)ものであり、平成三年当時株式会社産商貿易(代表取締役荒張四方之助、以下「産商貿易」という)の専務取締役の肩書で水産物食材等の取引を行つていた。

(3) 高岡稔弘こと高岡実(以下「高岡」という)

高岡はカネヤマ物産株式会社(以下「カネヤマ」という)及び東洋食品株式会社(以下「東洋食品」という)の代表取締役であり、小山に対し、カネヤマを介在させた上で本件商品の処分先ないし右商品による融資先として原告を紹介し、その旨原告に媒介をしたものである(争いがない)。

(4) 山内力(以下「山内」という)

山内は倉庫業者である東冷蔵コスモ(以下「東冷蔵」という)の契約担当責任者であり、同会社は産商貿易と水産物食材の寄託契約関係を有していたが、本件各商品取引につき小山らと共謀した(争いがない)。

(三)  小山と松崎は、昭和五七年に被告を懲戒解雇されて以来交遊関係がなかつたが、平成二年ころから再び付合いが始まるようになり、小山が持ち込む水産物を松崎が被告名義で買い付けるという取引を重ねるようになつた。

そのような中で、小山は平成三年七月初めころ産商貿易が東冷蔵に寄託していた本件蒲焼の売却先を探していたところ、カネヤマの高岡の示唆を受け、カネヤマを介して原告にこれを売却することを考え、松崎とも共謀の上、原告から右蒲焼売買代金名下に金員を引き出すことを企てた。これと前後して、高岡が原告に対し右売却の申入れを打診し、原告は確実な転売先があるのであればカネヤマを通して右買受けに応じる旨回答したところ、小山からカネヤマを介して同年七月八日付けで被告営業第四チームを発信元とし松崎の押印をした被告の本件蒲焼注文書(右用紙は松崎が予め数枚を小山に交付していたものの一部である)がファックスで送信され、これを受けた原告は直ちに被告に在社中の松崎に電話をかけて同人から直接右蒲焼を被告において買い受ける旨の確約を得たので、右蒲焼の取引を引き受けることとし、その旨高岡に通知し、同人はこれを小山に伝え、ここに本件蒲焼について産商貿易からカネヤマ、原告そして被告へと取引されることが合意された。

ところで、七月八日早朝の時点では、小山は松崎の要請で本件蒲焼をすべて原告との取引とは別の取引の関係で東冷蔵の山内に指示して出庫させており、既に原告に売却する本件蒲焼なるものは存在しなかつた。しかるに、小山は山内に対し原告から在庫確認の問合せがあれば在庫している旨回答するよう要請し、山内もこれを了承の上、小山の指示に従つて原告にその旨回答し、更に、小山から出された本件蒲焼の寄託者名義を産商貿易から原告に変更する旨の冷蔵貨物寄託者名義変更通知書をカネヤマを通じて原告にも送付した。右により、原告は本件蒲焼の在庫及び名義変更が実体を伴うものであることを信頼し、同月九日高岡の指定する東洋食品名義の口座に右蒲焼代金七九八万円を振り込んで支払つた。その上で、原告は同日付けで更に東冷蔵に対し本件蒲焼の寄託名義を被告名義に変更する旨名義変更依頼書を送付し、被告への名義変更手続を行うとともに、右蒲焼の納品書を被告に送付した。右書類は被告の社内で仕分けられ、松崎の担当取引に係るものとしてすべて同人に回され、同人が受領している。

(四)  本件蒲焼取引に次いで、松崎及び小山は再び共謀の上、更に本件大正海老により売買代金名下に原告から金員を詐取することを企て、実際には右大正海老は存在しないにもかかわらず、これが東冷蔵に寄託してあるかのごとく装い、山内とも共謀の上、前記蒲焼取引の場合と同様の手順で、山内が原告からの問合せに対して右大正海老が存在する旨回答し、他方、松崎は原告に対し被告が右大正海老を買い取る旨確約した。そこで、原告は松崎の言を信じて右大正海老を買い取ることとし、前同様に寄託者名義変更手続を受け、右代金合計八〇四万円を平成三年七月一五日と一六日の二回に分けて指定された東洋食品の口座に振り込んで支払うとともに、同月一五日には右冷蔵庫寄託者名義を被告に変更する旨の通知を東冷蔵に通知してその旨の手続を取り、納品書を被告に送付し、内部的に松崎がこれをすべて受領した。

(五)  ところが、被告は本件各商品のいずれについてもこれを買い受ける意思はなく、松崎も事前、事後ともに被告に報告することなく無断で密かに行つていたものである。なお、原告が東洋水産の口座に振り込んだ前記一六〇二万円は、その後小山、松崎が取得している。

3  原告の主張

(一)  松崎の職務権限と本件商品取引の業務関連性について

(1) 原告が営業第四チームリーダーである松崎との間で行つた本件各商品を被告に売却する行為は、松崎がその業務の執行として行つたものであり、被告に買受けの意思がなかつたとしても、被告は民法七一五条に基づき、原告が支払つた売買代金相当額合計一六〇二万円を損害賠償金として支払う義務があるし、また、右売買契約も成立しているから、売買代金として同額の支払義務もある。

(2) 仮に、松崎が本件商品取引当時営業第四チームリーダーの地位を外れ、取引権限を有していなかつたとしても、同人の配置換えは形式上のものであり、その後も同人は懲戒解雇されるまで社内での勤務場所等外観上の形態は全く変わらず、原告からの問合せの電話や送付書面はそのまま松崎に取り次がれあるいは交付されて、同人にその処理が委ねられていたのであり、外観上は営業第四チームリーダー当時の権限を有しているものと認められるから、本件各商品取引はなお同人の職務範囲のものと解するのが相当というべきである。

(二)  請求権の放棄について

原告は本件商品取引に伴う損害賠償等請求権を放棄したことはない。

乙二の和解契約書(以下「本件和解契約書」という)六項は、本件の解決を後日に先送りすることを明記してあるものであり、右解決の時期及び方法については何らの合意もない。したがつて、右請求権放棄の主張は理由がない。

(三)  過失相殺について

原告は自ら本件商品を仕入れて東冷蔵に寄託していたものではなく、既に寄託していることを前提にして被告から買付注文を受けるという形態の取引であつたのであり、原告は東冷蔵に対して電話、文書の遣取りで在庫確認をしているのであるから、商品の確認義務は十分尽くしたというべきであり、過失相殺の主張は理由がない。

原告は本件商品以外にも松崎を介して多数の食材取引を行つてきていたのであり、本件を含め、その都度被告に勤務中の松崎に電話連絡を取り、関係書類を送付したが、これらは一切滞りなく同人に取り次がれているのであつて、いわば同人が被告の社内に居ながらにして不正取引をするのをなすがままにしていたということになるのであつて、同人がかつて同様の不正行為をして懲戒解雇された前歴を有することも併せ考慮すると、本件取引は被告の社内管理体制の不備が引き起こしたものというべきであり、被告は右取引の責任を免れることはできない。

4  被告の主張

(一)  松崎の取引権限の欠如について

本件各商品取引当時、松崎は営業第四チームリーダーの地位を剥奪され、全く取引権限を有しない地位にあつたのであり、右商品取引について売買契約の成立がないことはもちろんのこと、民法七一五条にいう業務の執行について行われた行為にも該当しないことが明らかである。

(二)  請求権の放棄について

本訴提起前に、本件各商品取引を含む松崎の一連の不正取引行為について原告との間で和解契約が締結され、商品の存在する取引分については改めて被告が買い受けることとしたが、本件各商品に関しては空荷であつたことから原告は被告に対し、右に係る一切の請求を放棄した。

(三)  過失相殺(五割)について

本件各商品取引はいずれも目的物が存在しないものであるところ、本件のような格別の銘柄でもない生もの商品については、原告において代金支払前に目的商品の保管冷蔵庫作成の入庫報告書(又は入庫通知書)、名義変更報告書(又は名義変更通知書)ないしは在庫証明書、若しくは目的商品の運送に当たつた運送業者の受領書など第三者作成の客観的な証明書類によりその在庫を確認するのが水産業界の取引の常識というべきである。本件は、原告が右確認措置を取つていれば防止できたことが明らかであり、原告の過失は大きく、五割は下らない。

三  裁判所の判断

1  前記のとおり、松崎は本件各商品取引当時営業第四チームリーダーの地位から取引権限のない部署に配置換えとなつており、また、右各取引は同人が小山と仕組んだ被告に無断の不正取引であり、原告に対する不法行為を構成する。そこで、本件各商品取引が民法七一五条にいう松崎の業務執行につきされたものといえるかどうかについて判断する。

(一)  前記認定事実《証拠略》によれば、次の各事実が認められる。

(1) 松崎は平成元年ころから平成三年三月二五日までは被告の営業第四チームリーダーとして取引権限を有していたものであり、同年四月一日から取引権限のない商品開発担当の役員付けとされた。しかし、右配置換えは本件取引等の不祥事によるのではなく(右時点では発覚していない)、同人の年令等を考慮し、単なる契約担当ではなく大局的な視野から会社の運営を行わせる教育目的で行われたものである。

(2) 右配置換え後も松崎の机の位置は従前と変わらず、被告は配置換え前に松崎が関与した取引等についてはなお同人に事後処理的な事務を行わせており、また、後任の担当者に対して取引に関する指導、助言等を行わせるなどしており、これに右配置換えないし権限の委譲、変更について社内徹底が十分ではなかつたこともあいまつてか、配置換えの前後を問わず同人が関与した取引に関する電話や、伝票類等の書類の送付等があると、内容の検討などされないまま同人に取り次がれ、あるいは交付されて同人にその処理が委ねられるというのが実際の勤務状況であつた。

(3) ところで、松崎は営業第四チームリーダーに就任後間もない平成二年ころ小山との交遊が復活した後、小山から持ち込まれた赤貝を被告名義で買い受けたがこれを焦げつかせ三〇〇〇万円の損害を出したのをきつかけに、右損害を回収する等のためにその後も平成三年にかけて小山から持ち込まれた商品を被告に無断で被告名義で買い受けを重ね、個人的にも同年三月当時右関係で仕入資金等として小山に一億円以上にのぼる融資をしており、被告に知れないように注文先に売買代金を支払い、また、右借受金の返済や小山に対する貸付金を回収するために、配置換えを受けた後も小山と組んで被告に無断で架空の商品取引を含む不正取引を継続せざるを得ない状況に追い込まれていた。原告との取引も右の一環として行つたものであるところ、松崎が小山と共謀して本件と同様被告名義で原告に持ち掛けた取引は本件各商品にとどまらず、<1>同年五月三一日の冷凍赤貝(右代金五四二万七五〇〇円は同年七月一六日被告名義で支払われた)、<2>同年七月一日のワタリガニ等及び<3>同年六月一七日の冷凍アオリイカ等の取引(<2>及び<3>については不正発覚後改めて右商品につき被告がこれを買い受け、代金を出荷元の株式会社日商に支払つて解決するという和解契約が締結された)がある。

(4) 松崎が配置換え後も数か月にわたり第四チームの契約担当者として被告に無断で前記のような取引行為を行うことができたのは、被告の前記管理体制のためというほかない。

すなわち、松崎の行つた右取引に関しては各取引先から問合せの電話や伝票類等の関係書類が送付されているが、それらは被告内部で何らの検閲を受けることなくそのまま松崎に取り次がれ、そのために同人は配置換え後も被告名義で夥しい数量の無断取引を行い、これが発覚したのは同年七月に入つて右取引業者から代金支払の督促や問合せが相次いだことが契機となつたのであり、被告はその間松崎が多数の不正取引を重ねていることに全く気付かなかつたのである。同人がかつて小山と共に本件と同様の空売り等の不正取引を行つて懲戒解雇された経歴を有していたことを併せ考慮すると、被告の松崎に対する管理は極めて杜撰なものであつたというほかはない。

(二)  右事実によれば、松崎は配置換え後も被告内部において完全に従前の取引担当業務から外されていたものとはいい難く、第三者には松崎はなお従前どおり営業第四チームリーダーの地位にあつて、契約締結権限を有するものと受け取られてもやむを得ない地位ないし業務内容にあつたものというべきであり、被告は自らこのような状況を作出し、松崎の前記不正取引をなすがままに放置していたに等しいものというほかない。

したがつて、本件取引は松崎が被告の業務執行について行つたものと解するのが相当というべきであるから、被告は民法七一五条により本件取引により原告が被つた損害一六〇二万円及びこれに対する不法行為の後である平成四年四月一〇日(本訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき責任があるものといわなければならない。

2  次に、請求権放棄の主張について判断する。

被告は、原告が本件各商品取引に係る請求権を本訴提起前の和解に際して放棄した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。かえつて、右和解契約書(乙二)の合意事項によれば、本件取引に関する紛争の解決は後日に委ねる旨の合意があり、後日訴えの提起等による紛争解決手続きが予定されていることが明らかであり、被告の右主張は理由がない。

3  最後に過失相殺について判断する。

前記のとおり、本件蒲焼は原告への寄託者名義変更手続が取られた時点では既に他へ出庫済みであり、また、本件大正海老は当初から存在しない架空の商品であつたところ、原告は自ら保管先の東冷蔵に出向いて直接右各商品の在庫確認をしていない。しかし、前記事実から明らかなとおり、本件取引は原告が東冷蔵に持ち込んだ商品を被告に売却するというものではないし、また、原告が被告の買受けを奇貨として暴利目当ての金融取引をもくろんだものでもないのであつて、小山や松崎が用意周到に仕組んだ詐欺取引にいわば引つ掛けられたものであり、原告において東冷蔵に出向いて在庫の有無、数量、品質等の確認まですべき義務はなく、前記のとおり電話、寄託者名義の変更により在庫確認をしているのであるから(山内の虚偽の返答によるものではあつたが)、原告においてかかる経緯の取引における売主としての在庫確認義務に欠けるところはなかつたというべきである。

また、本件各商品取引は被告の社内の管理体制の杜撰さが原因となつて引き起こされたものであることを考慮すると、損害の公平な分担の見地からも、過失相殺の主張を容認するのは相当ではないというべきである。

4  よつて、原告の請求は理由があるから認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村 啓)

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